2024年度9月25日(水)、2024年度 前期卒業式を執り行いました。卒業生の皆様、おめでとうございます。 【学長式辞】 残暑が終わらない日々ですが、それでも早朝や夕方の風に、わずかな秋の気配を感じるようにもなりました。本日ご卒業される文学部人文学科二名、社会福祉学部社会福祉学科七名のみなさん、おめでとうございます。学長としてひとこと、お祝いの言葉を述べさせていただきます。 先週、後期授業を始めるにあたり、教員の研修会を行いました。そのときお招きした講師の先生のお話に「非認知能力」というキーワードが出てきました。私は不勉強であまり知らなかったのですが、幼児教育などの分野で、すでによく使われている言葉だそうです。「非認知能力」とは文字通り「認知されない能力」という意味で、何だろうと思っておりましたら、内容を聞いてみると、私たち同朋大学の教育の場では、認知されないどころか、昔から最も重要なものと認識している考え方でしたので、お話の内容とは別なところで、何だか不思議な感じがしました。 みなさんも経験したとおり、高校受験や大学受験で、進学のために大切なことは、合格点を取ることです。大学でも、もちろん卒業するためには一二四単位を揃える必要がありますし、様々な資格を得るためには、試験で合格点に達しなければなりません。けれども、大学の次に皆さんを待っているのは実社会の現場です。そこでみなさんに求められるのは、試験で高得点を取ることよりも、もっと違う能力です。同朋大学は、もちろん制度にしたがって、合格点を取るための授業や対策講座を実施していますが、同時に学生のみなさんには、点数も大事ですが、社会に出て、人々と共同して働いてゆくために必要な能力、具体的には、優しさ、意欲、協調性、社交性、表現力、忍耐力、創造力(想像力)といった様々な人間力こそを、身につけて卒業して欲しいと願っています。そういう能力のことを、最近は「非認知能力」と呼んでいるそうです。成績や点数にして認知することが困難な能力、ということなのですが、先ほど言ったとおり、私たちはずっと以前から「同朋和敬」「共なるいのちを生きる」という建学の精神としてそれらを認識し、教育の根幹としております。これまで卒業生の就職先から聞こえてきたお誉めの言葉も、だいたい、同朋大学卒のみなさんは優しい、協調性がある、地味な仕事もきちんとこなす、周りの人たちとしっかりコミュニケーションをとってくれる、という評価です。教員も、卒業生がそのように評価されていることを、なによりも誇りに思っています。 そういう能力を、改めて「非認知能力」という不思議な呼び方で定義するのは何故だろう、と疑問に思ったのですが、この言葉を広めた人が、ノーベル賞を取った経済学者だと聞いて、少し納得がいきました。というのも、人間の経済活動は、認知できない価値を、数値として認知するところから始まるからです。経済の根本にあるのは「信用」ということです。信用が得られれば経済は回ります。「信用」という、本来は数値化できない、非認知な価値観を数量化したものがお金だからです。 現代の社会は、そうやって数値化され、認知可能になった様々な制度やシステムのもとで動いています。ただ、そのシステムの中にすっかりはまってしまうと、中で回っている歯車の一個になってしまい、システム全体がどうなっているか、根底ではたらいている力がどのようなものか、どうすればそれをより良く変えていけるか、かえって見えにくくなってしまうようにも思います。けれどもみなさんは、現在の四年制大学の制度のもと、多くの学生が四月に入学し、三月に卒業してゆくなか、前期卒業という、既定のシステムから少し外れた卒業の仕方をされています。おかしな言い方かも知れませんが、だからこそ他の人よりも、今の世の中を動かしている制度の隙間を、垣間見ることのできる立場にいると思います。 現代の社会は争いに満ちていて、同朋大学の「共なるいのちを生きる」という建学の言葉は、ただの理想主義のように思われがちです。しかし人間の社会は本来、人と人との関係性、いのちのつながりを大切にして、お互いに信頼しあうところから生まれてきたものです。少しずつでも世の中を変えて、すべての人々の、より幸せな生活を目指す歩みは、結局「共なるいのちを生きる」精神からしか始まらないことを、本学で学んだみなさんであれば、理屈ではなく体で理解してくださっていると思います。どうか卒業後も、建学の精神(もう一度言います)「同朋和敬」「共なるいのちを生きる」を心のどこかに刻んでおいてください。そして時には同窓生としてキャンパスを来訪し、卒業後の歩みを御報告いただけれることを、心待ちにしております。改めまして、本日は御卒業おめでとうございます。 二〇二四年九月二五日 同朋大学学長 福田 琢