2025年度 同朋大学 入学認定式 福田琢 学長式辞(全文)
福田学長
式辞
新入生のみなさん、御入学おめでとうございます。
保護者、ご家族のみなさま、本日はおめでとうございます。来賓のみなさま、本日は御列席たまわり、ありがとうございます。
はじめに勤行があり、お経の一節を読誦しました(嘆仏偈)。この入学式は、宗教行事として行っております。同朋大学は、4年制の私立大学となって今年で75周年を迎えますが、さらにさかのぼれば、今から100年あまり前の1921年、仏教の専門学校として、名古屋市中区にある東別院(真宗大谷派名古屋別院)、浄土真宗のお寺の境内に設立されました。
浄土真宗は鎌倉時代の仏教者、親鸞を宗祖としております。その許には多くの弟子が集まりましたが、本人は「親鸞は弟子一人(いちにん)ももたずそうろう」と言い、門弟たちを「弟子」ではなく「同朋」(どうぼう)と呼びました。「同朋」とは「同朋大学」(どうほうだいがく)の同朋(どうほう)と同じ漢字ですが、仏教用語としては同朋(どうぼう)と読みます。少しややこしいですが、どちらも「共に歩む仲間」という意味です。ほとけさまの前では、先生も弟子も、聖人も俗人もない。みな等しく、悩みをかかえ、迷って生きている存在である。そういう浄土真宗の人間観をあらわすことばです。
現在、日本や世界のあちこちで、さまざまな亀裂や分断が生じ、意見の違う者同士の対立、民族同士の衝突、国と国の戦争が続いています。自分は民衆の上に立つ、正しい指導者であると信じ、自分の正義を貫こうとして、悲惨な状況を招いている人がいます。
私たちの「同朋」の精神は、その反対側に立つものです。自分の限界や愚かさを認め、何ごとも自力で判断せず、自力で善を為そうとせず、個人を越えたはたらきを信じ、身を委ねる。自分とは異なる考え方に出会っても、むやみに対立せず、受け入れ、理解する努力をして、共に歩む。
そういう気持ちをいただくことができれば、個人個人の意志がはるかに及ばない、おおきなはたらきのもとに、争いや差別を越え、さまざまな悩み苦しみから解放される道が、きっと拓かれる。そういう願いが「同朋」という2文字には込められています。
何か、現実ばなれした夢物語を語っているように思われるかもしれません。けれども、この大学を卒業された方々のなかは、そのような理想のもと、人と人とが互いを認め、連帯し、ひとりの弱者でいることを越えて、いのちがつながる社会を少しずつ紡ぎ出すような作業の現場で働いている人が、たくさんいます。
ですから私たちは、この「同朋」の精神こそ、現代の社会が最も必要としているものだと信じて、それを今のことばで「共なるいのちを生きる」と表現し、また英語で「Living Together in Diversity」と翻訳しています。
みなさん、今日はいろいろな手続き書類の入った手提げ袋を受け取りましたね。その袋をちょっと手にとって見てみてください。片方の側に「共に学ぶ、共に歩む」もう片方に「Living Together in Diversity」と書いてありますね。これが私たちの学びの「合い言葉」です。Diversity(多様性)という言葉は、最近しきりに使われるようになりましたが、同朋大学はずいぶん以前から、この標語を使い続けてきました。これからの大学生活、互いの多様性を認め、そのなかで共に学び、共に歩んで行きましょう。
「社会に出て役立つ資格や免許を取って、弱い立場の人を助け、心悩む人に寄り添い、幼い心を育む仕事に就きたい」という志を抱いて入学されたみなさん、本学の先生は、あなたが希望する資格を取得するための手だてを教えてくれます。そしてさらにその先にある「そもそもどうして、私たちの社会には、そういう資格や制度があるのだろうか」「その制度はほんとうに、この社会に生きるみんなを、幸せにできているのだろうか」という問いまで、導いてくださいます。
「フィクションの世界が好きだ」「歴史をもっと学びたい」「日本や海外の文化をたくさん知りたい」と思って入学されたみなさん、物語や歌に描かれた空想の世界が、ときには作者個人の意図を越えて現実社会を映す鏡となること、幾層にも折り重なった過去の歴史のうちに、現在と、さらに未来への道が見えてくること、その歴史が織りなしてきた文化や思想を読み解けば、自分自身がいま立っている場所が明らかになることを、ゆっくり学んでいきましょう。
そして仏教の思想、浄土真宗の教えを求めて入学されたみなさん、本学が「真宗専門学校」として創立して以来の伝統を今に受け継ぎ、親鸞聖人がいただいた仏教とは何か、現代における教化はどうあるべきかを問い尋ねる道を、歩み始めてください。
もちろん、教室での学びが学生生活のすべてではありません。キャンパスを離れての実習やインターンシップがあり、さらにクラブ、サークル活動、大学スポーツの競技大会、地域交流など、さまざまなイベントが、みなさんを待っています。時には心くじけたり、迷ったりすることもあると思います。そんなときも「共なるいのちを生きる」という私たちの合い言葉を忘れず、仲間や先輩後輩とともに、課題に取り組んでください。
本学の正門を出た南側の角、交差点の前に掲示板があります。バス通学の方は、これから毎日のように前を通ると思います。新学期を迎えるにあたり、そこにどんな新入生を迎えることばを掲示しようかと考え、たくさんある仏教のお経のなかから「道芽(どうげ)の増長するは春苗(しゅんびょう)の如し」(『大乗本生心地観経』巻5、大正大蔵経3巻、314頁上)という詩句を選びました。耳で聞いただけでは、何がなんだか判らないかもしれません。また掲示板を見ていってください。「春の草木の新芽のような純粋さで、自らの道を進んでください」という意味です。このことばどおり、みなさんが実りある学生生活の第一歩を踏み出せるよう、本学の教員・職員一同、しっかりサポートしたいと思っています。共に歩んでまいりましょう。
同朋大学はみなさんを心より歓迎します。
2025年4月1日
同朋大学学長 福田 琢
新入生のみなさん、御入学おめでとうございます。
保護者、ご家族のみなさま、本日はおめでとうございます。来賓のみなさま、本日は御列席たまわり、ありがとうございます。
はじめに勤行があり、お経の一節を読誦しました(嘆仏偈)。この入学式は、宗教行事として行っております。同朋大学は、4年制の私立大学となって今年で75周年を迎えますが、さらにさかのぼれば、今から100年あまり前の1921年、仏教の専門学校として、名古屋市中区にある東別院(真宗大谷派名古屋別院)、浄土真宗のお寺の境内に設立されました。
浄土真宗は鎌倉時代の仏教者、親鸞を宗祖としております。その許には多くの弟子が集まりましたが、本人は「親鸞は弟子一人(いちにん)ももたずそうろう」と言い、門弟たちを「弟子」ではなく「同朋」(どうぼう)と呼びました。「同朋」とは「同朋大学」(どうほうだいがく)の同朋(どうほう)と同じ漢字ですが、仏教用語としては同朋(どうぼう)と読みます。少しややこしいですが、どちらも「共に歩む仲間」という意味です。ほとけさまの前では、先生も弟子も、聖人も俗人もない。みな等しく、悩みをかかえ、迷って生きている存在である。そういう浄土真宗の人間観をあらわすことばです。
現在、日本や世界のあちこちで、さまざまな亀裂や分断が生じ、意見の違う者同士の対立、民族同士の衝突、国と国の戦争が続いています。自分は民衆の上に立つ、正しい指導者であると信じ、自分の正義を貫こうとして、悲惨な状況を招いている人がいます。
私たちの「同朋」の精神は、その反対側に立つものです。自分の限界や愚かさを認め、何ごとも自力で判断せず、自力で善を為そうとせず、個人を越えたはたらきを信じ、身を委ねる。自分とは異なる考え方に出会っても、むやみに対立せず、受け入れ、理解する努力をして、共に歩む。
そういう気持ちをいただくことができれば、個人個人の意志がはるかに及ばない、おおきなはたらきのもとに、争いや差別を越え、さまざまな悩み苦しみから解放される道が、きっと拓かれる。そういう願いが「同朋」という2文字には込められています。
何か、現実ばなれした夢物語を語っているように思われるかもしれません。けれども、この大学を卒業された方々のなかは、そのような理想のもと、人と人とが互いを認め、連帯し、ひとりの弱者でいることを越えて、いのちがつながる社会を少しずつ紡ぎ出すような作業の現場で働いている人が、たくさんいます。
ですから私たちは、この「同朋」の精神こそ、現代の社会が最も必要としているものだと信じて、それを今のことばで「共なるいのちを生きる」と表現し、また英語で「Living Together in Diversity」と翻訳しています。
みなさん、今日はいろいろな手続き書類の入った手提げ袋を受け取りましたね。その袋をちょっと手にとって見てみてください。片方の側に「共に学ぶ、共に歩む」もう片方に「Living Together in Diversity」と書いてありますね。これが私たちの学びの「合い言葉」です。Diversity(多様性)という言葉は、最近しきりに使われるようになりましたが、同朋大学はずいぶん以前から、この標語を使い続けてきました。これからの大学生活、互いの多様性を認め、そのなかで共に学び、共に歩んで行きましょう。
「社会に出て役立つ資格や免許を取って、弱い立場の人を助け、心悩む人に寄り添い、幼い心を育む仕事に就きたい」という志を抱いて入学されたみなさん、本学の先生は、あなたが希望する資格を取得するための手だてを教えてくれます。そしてさらにその先にある「そもそもどうして、私たちの社会には、そういう資格や制度があるのだろうか」「その制度はほんとうに、この社会に生きるみんなを、幸せにできているのだろうか」という問いまで、導いてくださいます。
「フィクションの世界が好きだ」「歴史をもっと学びたい」「日本や海外の文化をたくさん知りたい」と思って入学されたみなさん、物語や歌に描かれた空想の世界が、ときには作者個人の意図を越えて現実社会を映す鏡となること、幾層にも折り重なった過去の歴史のうちに、現在と、さらに未来への道が見えてくること、その歴史が織りなしてきた文化や思想を読み解けば、自分自身がいま立っている場所が明らかになることを、ゆっくり学んでいきましょう。
そして仏教の思想、浄土真宗の教えを求めて入学されたみなさん、本学が「真宗専門学校」として創立して以来の伝統を今に受け継ぎ、親鸞聖人がいただいた仏教とは何か、現代における教化はどうあるべきかを問い尋ねる道を、歩み始めてください。
もちろん、教室での学びが学生生活のすべてではありません。キャンパスを離れての実習やインターンシップがあり、さらにクラブ、サークル活動、大学スポーツの競技大会、地域交流など、さまざまなイベントが、みなさんを待っています。時には心くじけたり、迷ったりすることもあると思います。そんなときも「共なるいのちを生きる」という私たちの合い言葉を忘れず、仲間や先輩後輩とともに、課題に取り組んでください。
本学の正門を出た南側の角、交差点の前に掲示板があります。バス通学の方は、これから毎日のように前を通ると思います。新学期を迎えるにあたり、そこにどんな新入生を迎えることばを掲示しようかと考え、たくさんある仏教のお経のなかから「道芽(どうげ)の増長するは春苗(しゅんびょう)の如し」(『大乗本生心地観経』巻5、大正大蔵経3巻、314頁上)という詩句を選びました。耳で聞いただけでは、何がなんだか判らないかもしれません。また掲示板を見ていってください。「春の草木の新芽のような純粋さで、自らの道を進んでください」という意味です。このことばどおり、みなさんが実りある学生生活の第一歩を踏み出せるよう、本学の教員・職員一同、しっかりサポートしたいと思っています。共に歩んでまいりましょう。
同朋大学はみなさんを心より歓迎します。
2025年4月1日
同朋大学学長 福田 琢